カシワの自己紹介

1992年生まれの群馬県出身のカシワです。

現在、26歳でIT系の会社員として、嫌々働いています。
4年生の大学を卒業して、22歳で1社目の会社に入社。
新卒で入社した会社は、今と同業種のIT系で、THE・中小企業という感じでした。

カシワはそこで、 WEB系の業務でECサイトの開発・保守・運用を主にやっていました。 

 

 

2年目は人生の転機により、 一生ものの技術力(PHP) を手に入れることと、 仕事が楽しいと思えることができました。 

3年目以降は、お客さんの無茶な要望に応え、膨大な量の問い合わせを受け続けていました。

無茶がたたってか、カシワは倒れてしまい、1か月間の休職をした経験もあります。

 

前の会社で5年目の今年(2018年8月)に、「これ以上の成長はこの会社では見込めないな」と思い、転職を決意。

しかし、完全な同業種に転職しましたが、 人間関係業務内容職場の雰囲気から今まさに抜け出したい一心 であります。

 

今の夢としては、「フリーランスSE」として、楽しく仕事をすること!

では、カシワの生い立ちからどんな人物なのかについて、紹介していきます。

 

学生時代のカシワ

あまり、将来について考えずに何となく 「楽しく学校に行っていればいいや」 と学生生活を過ごしていました。

何となく高校生活を過ごしていたため、カシワ少年の学力は平均より少し下・・・

部活もバスケットボール部で活動していましたが、あまりやる気のない部員たちばかりで、カシワ自身もこの雰囲気にやる気をなくし、同好会気分で活動をしていました。(練習は軽く!顧問はほぼいない)

この時のことを考えてみると、高校時代の部活は、将来味わうこととなる 社会の縮図だったと感じています・・・ 

 

 

適当に高校生活を過ごしていたカシワは、大学受験に失敗し、滑り止めの滑り止めに引っかかり、なんとか合格。。。

学部は、電気電子情報工学科でした。
なんで、この学科を選んだかというと、電気系でも情報系でも、 就職先をいろいろ選べるかなと思ってのこと です。

あと、小さいころから、父親の影響からか パソコンを使うことが好きだったので、パソコンを使う仕事を目指せるかな と、思っていました。

 

 

大学生活も、なんとなく過ごし、片道2時間以上で電車が80分に1本という超ローカル電車で地元群馬から、埼玉にあるキャンパスまで通っていました。

1時限目から、講義がある日は朝の5時に起きて用意し、冬ですとまだ月や星がきれいに出ている中、駅まで自転車で行ってました。(さすが群馬という星空です。)

まあ、大学の出席はずるばかりしてましたね。。。

友達に代わりに名前を書いてもらったり、学生証を貸しておいて、「ピッ」と出席を取るものがあるのですが、代わりにやっておいてもらったり・・・

「だって、家から遠いんだもん」と当時のカシワは言っていました。

 

大学から、帰ってきたら、居酒屋のアルバイトをしていました。(週3~5日!)

 アルバイトは大変でしたが、いろいろ勉強になりましたし、仕事はこんな感じか!というのが味わえました。 

最初はキッチン(お皿の用意したり、オーダーの入った料理の食材を冷蔵庫などからとってきたり、皿洗いなど)でアルバイトをしていたのですが、

ある時からホール(お客さんの案内をしたり、オーダーを取ったり、お酒作ったり)が忙しいとお呼びがかかり、ホールのお仕事をやります。

そして、ホールが落ち着くと、キッチンが洗い物であふれかえっているので、一人せっせとお皿と格闘というアルバイト生活でした。(さっきまで、一緒に忙しくしていたホールの人たちは一息ついている中で・・・)
いわゆる、今はやりの二刀流であり、カシワは常に忙しいところで仕事をしていました。

そういうアルバイト生活を送っていたからか、仕事は忙しく頑張って働くことで「今、すごく仕事している!」と味わうことのできる体になってしまったのかもしれません。

 

 

大学も3年生の最後の方になると、就職活動が始まり、カシワは「昔からパソコンが好きだったから、IT系に就職だな」と決め、 IT系の会社のみに絞って、会社説明会に行ってました。 

地元群馬から、東京に行ってましたので、片道2時間半かかってました。。。

それを20社近く受けてましたので、辛かったですね。

カシワの場合は、卒業のけっこうぎりぎりに決まりましたので、危なかったです。

諦めなければ何とかなるものですね。

 

当時、学生時代のカシワは、勉強について、はっきり言って、「将来使わないんだから、別にいいじゃん」と思っていたような人間でした。

アルバイトなどの社会経験や、社会に出て生活していくための知識を身に付ける方が大事だと思っていました。

そのため、学生生活は自分と合う人たちとわいわい楽しく過ごし、勉強や自分と相性の合わない雰囲気だった部活は適当にやり過ごしていました。

 

社会人生活

社会人になってから、ようやく実家から出て、東京で一人暮らしの始まりです。

今思えば、大学の時から、一人暮らししていれば、もっといろいろ経験する時間ができたし、サークルとかに入りたかったなと思っています(´;ω;`)ウッ…

時すでに遅し・・・

 

卒業ぎりぎりで決まった会社も、4年働いて辞めてしまいましたが、なんだかんだ感謝しています。

最後は、「もうここにいられない!」といった感じで、辞めてしまったのですが、 今のカシワの技術力や、学生生活で完成された腑抜けた思考回路を修正できたのかなと思います。 

 

社会人1年目

社会人1年目のカシワは、仕事がほとんど与えられず、「あれ・・・おれ使えないのか??あれ?・・・おれ見えてない??」と思うこともちらほら。。。

仕事としては、テストのお手伝いしたり、お客さんのホームページの更新作業で、htmlやCSSを覚えました。

1年目は、 忍耐力が一番身に着きました。 (´・ω・`)

 

 

社会人2年目(人生の転機到来)

社会人2年目に人生を大きく変える出来事がありました。

それは、出向です。

ドラマ「半沢直樹」でよく聞く、島流しというわけではなく、カシワの場合は仕事というよりも、修行です。

1年間、東京を離れ、山梨県で提携会社に勤めて、そこで技術力を磨きまくりました。

生活は、車がなかったので山梨を観光することや、気分転換に遊びに行くことさえもできない環境でした。

会社で借りてくれたアパートに住んでいましたが、歩いて3分くらいにあったスーパーマーケットと、歩いて30秒のセブンイレブンがカシワのライフラインでした。

あの1年は半径500m以内で生きていました。

休日は遊びに行くことができないので、テレビを見るか、プログラムの勉強をしていました。

ちなみに、ネット環境もありませんでしたので、スマホの7Gの通信量で生活していました。(調べ事は会社のPCで!)

 

仕事の方は、 案件が炎上し、毎日のように残業して、帰りは夜の10時すぎ です。(家から会社まで自転車で5分くらいの超近い場所だったので、まだ良かった。)

提携会社の人たちとすごく仲良く仕事ができていたので、仕事が楽しく、プログラミングが好きになりました。

一緒にわからないところや、お互いに詰まっているところを 「あーでもない、こーでもない」と助け合って、一つのシステムを作っていくことが本当に楽しかった です。

 

 

 楽しく仕事していると、体はキツイのですが、精神的には「もっとやりたい。もっとできる。」と、気づけば月の残業時間は100時間以上を記録していました。 (いちよ、出向で行っていたので、だいぶ抑えるように言われていても超しました)

山梨に出向していた1年は仕事面では、これ以上ないほど充実していました。

 

 

社会人3年目~4年目(苦痛と退職)

東京に戻ってきた、社会人3年目からは、苦痛の日々でした。。。

要望がかなり多いお客さんをメインで担当を任されました。

最初は、一人でも頑張って対応をしていましたが、問い合わせや要望が多すぎて、どうやっても捌ききれません。

一人じゃ無理!と上司に相談しても、人がいないからと状況は変わらず、でも、お客さんの要望は増えるが減らず、とうとうカシワは倒れました。。。(精神的に参った状態です)

残業をしまくっても、仕事は増え、好きだったプログラミングはやることはなく、保守・運用のみで全くやりがいもなく、面白くもない仕事をしていました。

この時の 月の残業時間は毎月80時間近く 、それだけやっても、仕事は減らず、むしろ増えて予定も経たない状態でした。

45時間以内に抑えろと勧告が来ましたが、あろうことか、自主的にタイムカードを切って、そこから、サービス残業もしていました。

もう一種の反抗心でしたね。

見えない真っ暗なトンネルのゴールに向けて、闇雲に走っている感じです。

1年前のあまりにもの変化に対応できず、精神的に響いたのかなと思います。

そして、 1か月の休職 をしました。

 

 

復帰してからは、メイン担当を外れて、サポート役に回りました。

仕事量はだいぶ減りましたが、 どこか物足りない日々を過ごしていました。 

物足りなさを感じ始めた時に転職を少し考えるようになり、でも、今一緒に仕事している人たちと仲が良かったため、なんとなく、「28歳くらいになってからかな」と思っていました。

しかし、入社4年目の6月に組織が変わり、カシワがいた課の部長と課長が違うとこに異動になったのです。

カシワを山梨に行かせてくれた恩人の二人が急にいなくなり、増えつつあったECチームのメンバーも3人違う課に配属となり、8人→3人になりました。

 完全な事業縮小 です。

新しい部長と課長はECのことは全く知らないし、覚える気もあまりないような人たちでした。

カシワはこの 新しい部長と課長のことが大嫌い でした。

「なんで、こんな嫌いな奴の部下の元、仕事しなくちゃならないんだ!」と思いつつ、仕事をしていました。

人が減っても、仕事の量は変わらないため、残った3人に一気に仕事が増えました。

課長・部長のことが嫌いだったので、その上の取締役に、相談をしたこともありました。

「このままじゃ、私たち3人辞めますよ!」と言ったことがあります。

でも、やはり何も変わりませんでした。

そこから、1年ほど働きましたが、耐えられず、退職して新しい今の会社で働いています。

 

転職した会社

新しい会社に入社して、半年も経っていませんが、退社したい気持ちでいっぱいです。

理由はいろいろありますが、一番は「職場の人たちとの人間関係」です。

カシワは、学生時代からみんなとわいわい楽しみながら、遊んだり、仕事したりするのが好きだったのですが、新しい会社にはそれが全くありません。。。

本当にみんな「この雰囲気で仕事してて、楽しいのかな?」と思ってしまいます。

最初はカシワも頑張って隣の人と会話したりしてたのですが、ダメでした。

そもそも相性が合わず、話しも噛み合わず、会話している方がきつい人がいるんだなと思いました。

他にも、理由としては 「やりたい仕事ができない(プログラミング)」  「雰囲気が悪い(他の部署の悪口ばかり)」  「憧れる先輩社員がいない(この人の下で働きたい人がいない)」 です。

 

今とこれから(夢)

今は、フリーランスSEとなるために準備を進めています。

 この「カシワのマイウェイ・フリーランスSE」を通して、フリーランスになるために準備してることカシワの転職経験談、カシワが2年目の出向先で会得した「PHP」のことIT業界について思うことなどをお伝えしていこうと思います。 

そして、カシワはフリーランスSEとして生活していくことだけでなく、「好きなことを楽しく仕事に」を目指して、事業展開できるようになるという夢もあります。

あと、 カシワの会社員の経験、転職の経験、これからのフリーランスSEとしての経験を活かして、悩んでいる人を正しい方向に導いてあげられるようにもなりたい と思っています。

 

カシワと同じように、フリーランスSEを目指してる人、すでにフリーランスSEとして働いている人、転職しようかどうしようか悩んでいる人もいるでしょう。

是非、カシワと一緒に頑張りましょう!!

また、「こういうことをした方がいい!」など、何かありましたら、教えていただけると嬉しいです。